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強運の駆逐艦「雪風」にまつわる話

 戦争や事故、事件に遭遇した場合、運が良かった、悪かった等、様々な人生模様が繰り広げられます。今回は、人が作ったモノにもそういう運の善し悪しがあるという話を。ミリタリー好きな方には有名な「雪風(ゆきかぜ)」という艦についてです。
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◆主力駆逐艦の中での唯一の生き残り。強運の「雪風とは

 太平洋戦争での旧日本海軍の駆逐艦で、「雪風」という名の駆逐艦があります。陽炎型駆逐艦の8番目に製造された艦なのですが、駆逐艦という任務ゆえにその激戦の中、主力駆逐艦、約60隻の中で唯一生き残った駆逐艦です。その生存率はわずか1.7%・・・。

 その雪風、後方で安全な任務についていた訳では決してなく、常に最前線の主要な海戦にはすべて参加し(その数16回以上)、武勇と戦果を上げつつも大きな損傷を受けることなく終戦を迎えた奇跡の駆逐艦と言われています。

ざっとその戦歴を挙げると、
1941年12月05日 レガスピー攻略作戦
1942年10月26日 南太平洋海戦  
1942年11月12日 第3次ソロモン海戦  
1943年07月12日 コロンバンガラ島沖海戦  
1944年06月19日 マリアナ沖海戦(事故により途中離脱)  
1944年10月25日 レイテ沖海戦(空母4,戦艦3隻を失う)
1944年11月28日 空母「信濃」護衛に参加するも「信濃」撃沈
1945年04月06日 大和沖縄特攻(大和沈没、連合艦隊壊滅)

など。有名な真珠湾攻撃には参加しておりませんが、ミッドウェー海戦でも輸送団の護衛などで活躍しております(なお真珠湾攻撃に参加した艦船は30隻その全てが沈没)。
 生き残れただけでもかなり運が良いのですが、他にもこんなエピソードも
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昭和14年(1939年)12月の撮影の雪風

・アメリカ軍の標的にされるもスコールに守られて切り抜ける。
 1942年。第三次ソロモン海戦(第一夜戦)でのことです。雪風はアメリカ軍水上部隊と激しい砲雷撃戦を交えました。戦闘後、行動不能となった艦隊旗艦「比叡」の乗組員を救助した雪風は、司令官旗を掲揚したために敵の空襲で標的にされてしまいます。
 最大のピンチに陥りましたが、突如発生したスコールに守られて生還することができました。


・大和護衛の際にロケット弾が命中したが不発で、ほぼ無傷。
 連合艦隊最後の艦隊作戦「
菊水一号作戦」で戦艦「大和」は沖縄へ特攻します。この時の護衛にあたっていたのですが、生き残ったのは僅か駆逐艦4隻のみ。
 雪風もこの時にロケット弾の命中を受けますが、信管が作動せず不発に。更には完全に魚雷の命中コースに乗ってしまったのですが、これも艦底を通過しています。
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轟沈した大和。この時も雪風は乗員の救助に向かっています

・当たった機雷が不発で無傷

 敵の空襲から逃れるために退避するものの、敵の機雷に接触。しかし、回数機雷といって信管がある程度の回数に触れないと爆発しないものであったため不作動。その代りに後ろを航行していた「初風」がその機雷に触れて轟沈・・・。

 雪風は、過酷な戦場の中、僚艦たちが次々と沈没するので、その救助を頻繁に行うことになります。 護衛対象の艦が次々と沈没するなかで、雪風自体の犠牲者は戦争中を通じて10人に満たなかったといいますから、
回りの艦船からすると幸運を通り越して時には疫病神呼ばわりされることも・・・・。
 しかし、雪風の甲板上は常に救助された人々で溢れていました。雪風ほど多くの人命を救助した艦もいないかもしれません。
 

◆終戦後の雪風
 
 雪風の武名や幸運、強運ぶりは、戦争中でも海軍の間でも広く伝わり、
戦中より「呉の雪風、佐世保の時雨」と謳われていました(時雨は後に沈没)。
 8月15日の終戦の日、開戦当初に存在していた陽炎級艦船18隻の中で、洋上に浮いていたのは雪風一隻のみでした。ほぼ同型艦の朝風級10隻、改良型の夕雲級20隻もすべて戦没しており、このクラスの駆逐艦の生存率は極めて低かったのです。


・終戦後も機雷と接触するも、やはり無傷
 8月18日。雪風は舞鶴へ回航することになります。この時も損傷した潜水母艦「長鯨」を牽引中、「雪風」が通過した直後に機雷が爆発、両艦ともに九死に一生を得ています。


 その雪風は、戦後は
特別輸送艦として、復員輸送に従事し始めます。戦争中も多くの人命を救助した雪風は、戦後は復員輸送に活躍。1万3千名以上を故郷に送り届けました。その中には漫画家で有名な水木しげる先生もいたとか。

◆中華民国「丹陽(たんやん)」として活躍 


 雪風は1946年、戦時賠償艦として連合国に引き渡されることになりますが、雪風の武運と強運ぶりは連合国でも話題になっていました。最優秀艦として、アメリカ、イギリス、ソ連、中華民国が雪風を欲しがります。抽選の結果、中華民国へ引き渡されることになりますが、艦内はくまなく整備、整頓され検査に来た連合国の将兵たちを感動させたとか。
 その武勇も尊重してなのか、中華民国では、駆逐艦「雪風」を、「丹陽(たんやん)」と改め、なんと、中華民国艦隊の旗艦として迎え入れるのです。丹陽とは朝陽の意味もあるので、正に日本の艦船にふさわしい名をつけてくれたと思います。
 その後も老朽化で引退する1965年まで雪風は活躍し続けました。

◆雪風は何故、激戦を生き残れたのか。

 さて、この雪風の運のよさですが、「運」というあやふなな言葉で片付けるなと怒る人も。雪風には、それだけの裏打ちされた操艦技術や乗員たちの熟練度が高かったから生き残れたという意見もあるのです。
 確かに大きな犠牲者が出でなければ、乗員たちの熟練度もあがり、生き残る率はぐっと上がってきます。
 修理中も艦長命令により機関を止めず、敵襲があった際直ちに抜錨して難を逃れたエピソードもあり、これらの事から雪風は「超機敏艦」と呼ばれたと言う証言も残っているのです。
 同じく強運艦として名高い「時雨」の将官たちは抜錨の速さに自信があったのですが、ラバウル泊地が空襲を受けた際、一番早く機関を動かした時雨が湾外に脱出すると、すでに空襲を予想して最初から湾外に停泊していた雪風の姿を見て驚いたと言いいます。これも乗員たちの熟練度と日頃の警戒訓練などが生み出した他艦との差ですね。

 幸運の「雪風」とよく対比される「信濃」ですが、乗員たちの練度不足が上げられています。被弾後の応急処置も満足に出来ず、艦の操作にも慣れていない新兵ばかりですと結果的に悲劇的な結果につながってしまうのも事実でしょう。


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不運ともいえる空母「信濃」

 ちなみにこの「信濃」、
世界の海軍史上最も短い艦歴で、竣工から10日、出港してからわずか17時間で撃沈されてしまいます。この時の護衛をしていたもの雪風でした。

 戦闘後の入念に整備を行い、艦内にも熟知していた乗員たちのいる雪風は、軍からの信頼も厚く、常に最新鋭の装備も投入されていました。
 また大和特攻時の雪風の艦長は、砲弾が飛び交う危険な状態のなか、
露天艦橋に出て、大きな三角定規を使って敵の魚雷の軌跡を読みまくり操艦を指示したといいます。

 以上のことからも、裏付けされた実力があっての幸運であったことは間違いないと思います。常日頃の鍛錬と手を抜かない毎日の繰り返し作業が「運」を強くするのかもしれませんね。
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回避運動を行う空母の軌跡

 しかし、それでも思うのです。やっぱり雪風にまつわる運の良さは、努力や技術だけでは計れないものがあると。
 大和沖縄特攻時の雪風の寺内艦長は雪風が生還した理由について、乗員が優秀であると同時に「やはり運だろう」と述べています。
 また雪風に関わった歴代の艦長たち9人も、1人を除いて終戦時に全員生存しているとのこと。これもすごいことですし、雪風の戦死者もわずか9名ということも回りの状況からみたらやはり強運としかいいようがないでしょう。
 もしかすると、雪風の乗員の中に名も知れない、とんでもない「強運」の持ち主がいたのか、いや、雪風という艦自体が何かに護られていたのかなんてことも・・・。



◆「ゆきかぜ」の名は幸運の名
 戦後、復興をはたした日本は、再び軍艦の造船が認められることになります。
発足間もない海上自衛隊にとって最初の自国生産による護衛艦。その名は「ゆきかぜ」でした。
 この武勇と幸運、そして多くの人々を救助したこの名は、今後も語り継がれていくことになろうかと思います。
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<参考文献>
→『雪風ハ沈マズ』―強運駆逐艦栄光の生涯 (光人社NF文庫)
→雪風(Wikipedia)
→雪と風の物語 ~駆逐艦雪風~(GF連合艦隊さまサイト)など

雪風のシルエット画像は
Pastime工廠さまから頂きました(ありがとうございます^^)
→http://blog.pastime.ne.jp/game/kankore/1483#comment-729

 
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