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恋心の執念か。江戸の大火にまつわる因縁話

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久しぶりの更新です。
本日は1月18日なのですが、この日は、江戸の大半を消失するに至った大火災、
明暦の大火(めいれきのたいか)の日ともなっています明暦3年1月18日(1657年3月2日)〜1月20日(3月4日)。
 この明暦の大火の被害は、延焼面積・死者ともに江戸時代最大で、江戸の三大大火
明暦の大火目黒行人坂の大火丙寅の大火)の筆頭に挙げられています。

この明暦の大火は別名、振袖火事とも言われていますが、その内容がちょっとオカルトめいているのでご紹介を。

 江戸・麻布の裕福な質屋・遠州屋の娘・梅乃が、本郷の本妙寺に墓参りに行った帰りにすれちがったとある美少年に一目惚れをしてしまいます。

 寝ても覚めてもその少年が忘れられず、恋の病か食欲も無くし、寝込んでしまいました。
名も身元も知れぬ方ならばせめてもと、案じる両親に彼が着ていた服と同じ、荒磯と菊柄の振袖を作ってもらい、その振袖を抱いては彼の面影を思い焦がれますが病は悪化、梅乃は儚く死んでしまいます。
 両親は憐れんで娘のお棺にその振り袖を着せてやりました。
この
当時は、こういう棺に掛けられた遺品などは寺男たちがもらっていいことになっていいことになっていましたので、この振り袖も転売されることに。
 やがて振り袖は、上野の町娘のものとなりますが、この娘もしばらくの後に病となって亡くなり、再び振袖は彼女の棺にかけられて、奇しくも梅乃の命日にまた本妙寺に持ち込まれます。
 寺男たちは再度それを売り、振袖は再び別の町娘の手に渡るのですが、この娘もほどなく病気になって死去、振袖はまたもや棺に掛けられ本妙寺に運び込まれてきました。

振袖火事.jpg


 一度ならず二度までも戻ってきたこの振り袖、
さすがに寺男たちも因縁を感じ、住職は問題の振袖を寺で焼いて供養することにします。
 住職が読経しながら護摩の火の中に振袖を投げこむと、にわかに北方から一陣の狂風が吹きおこり、裾に火のついた振袖は人が立ちあがったような姿で空に舞い上がり、寺の軒先に舞い落ちて火を移します。すると、たちまち大屋根を覆った紅蓮の炎は突風に煽られ、一陣は湯島六丁目方面、一団は駿河台へと燃えひろがり、ついには江戸の町を焼き尽くす大火となったというものです。

 この話は、明治の作家、矢田挿雲が取材して著し、小泉八雲も登場人物は異なるものの小説として書かれています。

 さて、この因縁話には疑問をつける声もあります。当時の江戸の火災は甚大な被害を及ぼすことから幕府も厳罰で臨んでいるのですが、この出火原因をつくった本妙寺、お咎めがあるどころか、逆に手厚い保護を受け出世コースへ。
 そこで様々な説が出ることになりました。中には江戸の都市整備をするために幕府がわざと放火したとかも。
 一番有力なのは、老中阿部忠秋の家から出火したという説です。この方の家は正に本妙寺のお隣。火事には厳罰で臨んでいた江戸幕府の老中が火元であっては幕府の権威の失墜と非難は免れません。そこで幕府が火元を本妙寺に押し付け、その代償として保護と寄付の約束をしたという話です。ココらへんが真相かもしれませんね。

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本妙寺にある供養塔

 しかし、女性の我が身を焦がすような恋心が火事と結びつく話が現実にあるのです。それは、浄瑠璃や歌舞伎などで有名な八百屋お七の話。

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 この火事は、明暦の大火の約30年後の天和の大火(天和2年12月28日(1683年1月25日))と関係があり、この大火で焼け出されたお七とその家族が、避難先のお寺で避難生活をするのですが、お七がその寺の小姓と恋仲になり、もう一度会いたい一心で自宅を放火するという事件です。
 再び火事が起これば恋しい人にまた会える・・・。元祖ヤンデレともいうのか、ちょっと恐い話ですが、実際にお七という女性が恋愛に絡んだ放火により、処刑されたのは事実のようです。
 この事件が脚色され、歌舞伎や文楽などの作品にされ、様々な物語になっていきます。

(左図は月岡芳年の八百屋お七)

 また、お七が干支の丙午(ひのえうま)年生まれということで、この生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるという迷信が生まれ、実際の出生率にも影響を与えたというのですからすごいですよね。

女性の盲目の執念というのか、恋の火事も、実際の火事もどちらも本当に恐い話です。


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