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日本の三代怨霊その3〜崇徳天皇 [ ┣ 日本の三大怨霊]



 さて、日本の三大怨霊を紹介していますが、今回は最後の人物、崇徳天皇をご紹介。今まで紹介した「菅原道真平将門は非業なる死から祟りがあると何かと脚色された節がありますが、今回の崇徳天皇は、死ぬ前から我、日本国の大魔王となり、天皇家を呪うと宣言した恨み節満載の人です。日本最大の怨霊と呼ばれる所以でしょう。

三大怨霊崇徳.jpg


 歴史上の崇徳天皇といえば、保元の乱(1156年)が知られています。
 複雑な生い立ちを持った崇徳天皇は、父親(とされているが本当の父親は曾祖父の白河上皇とされている)の鳥羽上皇の妨害もあり、弟の後白河天皇と後継者について争います。
 いわばお互いが天皇同士、源氏も平氏たちも親兄弟に分かれ戦うことになり正に骨肉の争いになりました。

天皇家家系.jpg

 この戦いに敗れた崇徳天皇は讃岐の国に流刑となります。天皇もしくは上皇の配流は、淳仁天皇から400年ぶりの出来事。都に戻る望みは絶たれ、皇位も剥奪され、虚しい日々を過ごす崇徳天皇は、自らの血を使って写経をし京都に送ります。二度と帰れない京の都にせめて自分が書いたお経だけでも戻りたいという願いを込めたのですが、ほどなくして都から送られてきた文箱には、破かれた自分のお経。

 崇徳天皇は怒りのあまり、庭に飛び出しその場で舌先をかみちぎったといいます。そしてその血で「天下滅亡」という呪いの言葉を書き残し、われは日本の大魔王となりて天皇を呪い続けると呪詛をかけ、数日の後、憤死してしまいます(
暗殺説もあり)。
 呪詛には「天皇を民に貶め民を天皇にする」とあります。そう、天皇を権力の座から引きずり落とし、普通の人間に権力を渡してやるという意味です。

 そして、崇徳天皇の憤死後、弟の後白河天皇の身内に怪異が続きました。まず、後白河天皇の息子の二条天皇が在位中に23才という若さで亡くなります。
その後、息子の后である中宮、自らの女御が一月をあけずに若くして亡くなり、その十日後には孫である六条天皇までが13才で亡くなってしまいます。

 さらには、翌年の1177年。京都の町の3分の1を焼く安元の大火が起こります。死者は数百人に及び、後白河天皇が暮らす御所も火事の被害に遭います。翌年には次郎
焼亡と呼ばれる火災も発生し、この二つの火災や天皇家に起こる相次ぐ不幸は、崇徳天皇の祟りに違いないという噂も広がります。
 ここへきて、後白河天皇は崇徳天皇を手厚く祀りはじめました。崇徳院という名前も実は、この時に送られた天皇を称える特別の名前でありました。

 しかし、呪いは一向に収まりません。その後、平清盛たち平家が権力を握り、源氏の反抗、源平合戦、そして武士が政権を握ることになっていきます。
 まさに「天皇を平民に平民を天皇に」という崇徳天皇の呪いが実現したとも言えるのではないでしょうか。
 

崇徳天皇死去、100年毎に繰り返される日本を揺るがす災い。


 崇徳天皇の死を祀る100年ごとに式年祭があるのですが、その度に日本の基盤を揺るがしがねない天変地異・国家動乱が起きます。

 崇徳天皇が亡くなったのは1164年ですが、
104年後の1268年には、元に国交を迫られる、元寇のきっかけになる事件が。
200年後の1364年には、皇室を真っ二つに分断した南北朝の動乱が。
そして、303年後の1467年には武家同士が天下を獲る戦国時代への突入のきっかけとなった応仁の乱が起きます。

Cap 3.jpg
応仁の乱。京都は壊滅状態になる。


 天下を武家に取られてからは崇徳天皇の怒りは収まったかのようですが、明治維新で再び天皇が国家の中心に戻り、新しい国家体制を作っていくにあたって明治天皇は崇徳天皇に対し、あることを行います。
 それは、自分の即位の礼の際に、700年ぶりに崇徳天皇の御霊を四国から京都に移すという祀りでした。近代国家を築くにあたり、日本最大の怨霊と呼ばれる崇徳天皇に対し和解をするということを行うのです。
 天皇の巡幸と同じように御輿と400人もの従者を伴った大がかりなお祀りで、崇徳天皇の御霊は京都に戻り、
白峯神宮に奉じます。和解をし、逆に国家の守り神として奉ることにしたのです。

Cap 1.jpg
白峯神宮外観


 日本では、過去非業な死を遂げて怨霊となってしまった御霊を慰めることで、逆に守り神としてそのパワーを利用しようとした歴史があります。日本の神社など調べてみても、元々は朝廷の敵であったという場合も多いですね。
 死者の墓を暴いてまで徹底的に糾弾をする某国とはその思想がまったく異なるのが面白いと思います。
 
 さて、崇徳天皇は日本の守り神となってくださっているのでしょうか。
 現在も行われている100年事に行われる崇徳天皇の式年祭ですが、800年祭は1964年、東京オリンピックの年に行われました。
 この年は日本の首都東京が大きく発展し、敗戦を乗り越えて再び先進国への仲間入りを果たした年になりました。
 日本の三大怨霊たちは、長い時間を経て、畏怖され、怨霊から神へとその姿を変貌させて生きました。日本人と菅原道真、平将門、そして崇徳天皇との関係は今も脈々と続いているのです。

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蹴鞠の宗家であった公家・飛鳥井家の屋敷の跡地というこもあり、
球技の神様ということで、サッカー選手もよく訪れるそうです。


<追記>「応仁の乱」→「保元の乱」、その他、修正しました。なぜこんな単純ミスをしたのか・・・申し訳けありませんでした。m(_ _)m

<関連記事>
→日本の三大怨霊その1
〜菅原道真
→日本の三代怨霊その2〜平将門
→日本の三大怪談





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コメント 5

ふーちーぽん

最後の文章で三大怨霊が平清盛になってる(。-_-。)
by ふーちーぽん (2015-07-26 04:26) 

あ

平清盛ではなく平将門では?
by (2015-09-13 06:24) 

お名前(必須)

応仁の乱じゃなくて保元の乱
by お名前(必須) (2016-01-23 18:04) 

たまこ

応仁の乱ではなく保元の乱ではないでしょうか。
by たまこ (2016-07-23 08:47) 

ワンモア

ソネットブログの設定のせいか、コメントに気づくのが遅れてしまいました。
「応仁の乱」→「保元の乱」、その他、修正しました。なぜこんな単純ミスをしたのか・・・申し訳けありませんでした。m(_ _)m
by ワンモア (2016-09-10 17:59) 

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