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過去世を信じていた"猛将"パットンの情報力

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George Smith Patton, Jr.
1885年11月11日 - 1945年12月21日(満60歳没)

 パットン将軍は、第二次世界大戦の将軍の中でも、最も有名な将軍として知られています。
「猛将」と言われたパットンですが、しかし「アメリカの将軍の中でも最も教養のある人物だった」とも評されていました。
 彼は、詩人としての資質を持ち、毎晩聖書を読む敬虔なクリスチャンでした。そんな彼が転生輪廻を信じていて、自分は何度も過去生まれ変わっていると信じていたのです。今回はそんな猛将パットンにまつわる不思議な話を。



【ローマ市内の遺跡の場所をなぜか知っていたパットン】
 

 パットンがフランスではじめて軍隊を指揮したときのこと。ひとりの若いフランス人将校が町を案内しようと申し出ました。パットンは、私はこの町に詳しいから必要はないと答えましたが、彼は信じませんでした。
 そこで、パットンは運転手に命じて、まるで誰かが耳元で方角を教えてくれているかのように、その小都市をあちこち走らせました。
 パットンはローマの円形競技場や練兵場、広場、マルス神とアポロ神の神殿、そのうえシーザーが野営したという地点さえも示しました。

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 パットンは若いフランス人将校に「一度も道を間違えなかっただろう? 何しろ私は、昔ここにいたのだから」と語ったそうです。

640px-Lorica_segmentata_from_back.jpg パットンの伝記を書いた甥(おい)のフレデリック・エアによれば、パットンは、自分がかつてトロイア戦争で戦ったことがあり、またある時代にはシーザーの第十軍団(シーザーの直属軍団)で戦い、さらに時が下ってステュワート王朝のためにも戦ったと信じていたといいます。そして「ふたたび私は戦士として生まれるだろう」とも。自分は戦争の時代に生まれ、何度も軍人として戦う魂であると自覚していたようなのです。




【敵の動きを察知する第六感】  

 また、パットンの部下の情報将校は「パットンは“心霊的な感知器”を使って、陸軍情報部よりはるかに先んじていた」という証言が残っています。
 
 アメリカ軍大将オマール・ブラッドレーは、パットン将軍は状況の推移を見透しそれに備える能力の持ち主だったと語っています。彼は次のように回想しています。


「パットンが三個師団を率い、迅速に南へと歩を進めている時、突如、彼は前進をやめ部隊を集結させた。順調に行進が続く中、なぜパットンは止まったのか、と私の率いる部隊の参謀の幾人かが驚き、いぶかった。しかし、戦場におけるパットンの『感覚』を知っていた私は、我々の持っている情報からは判断できなくとも、きっと彼の行動には理由があるに違いないと皆に説いた。そして、それはまさにその通りだった。翌日、彼らは強烈な攻撃を受けたのだ。しかし彼は行進を止め隊列を整えていたので、それを撃退することができたのである。」


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 有名なバルジの戦いでも、クリスマスの日に敵がある地点から攻撃をしてくることを予知していました。ある晩、敵を出し抜いてこちらから攻撃をしかける作戦が頭に浮かび、彼は飛び起きました。そして、パットン部隊はドイツ軍が突撃を開始する寸前に攻撃をかけ、敵は攻撃をあきらめたのでした。

 このような事前に敵の動きを察知する第六感のようなものや、前世で戦った場所の地形を正確に記憶していたりと不思議な人物であったようです。
 そしてその能力は、彼に実際に勝利をもたらし、その戦歴を輝かしいものにしているのです。


 甥のフレデリック・エアによれば、パットンは超感覚的知覚(ESP)をかたく信じており、テレパシー、既視感(デジャヴュ)、予言、生まれ変わりなどはみな、全体でひとつをなすものの一部分らしいと確信していたといいます。

【自らの死の予言】

 そんなパットン将軍ですが、ヨーロッパに平和をもたらした立役者ではありましたが、戦後はナチスよりも葉に衣を着せぬものの言い方などがマスコミなどの批判を浴び、左遷させられてしまいます。
 平和な時代に勇猛な将軍は不要になってしまうのも世の常。
 ある日のこと。パットンはヨーロッパ占領軍の任務に戻る準備をしながら子どもたちの前で「二度と会うことはないだろうから、お別れを言っておく」とつぶやいたそうです。
 この不吉な“予言”を打ち消そうとする子どもたちに向かって、彼は謎めいた言葉を返しました。
「本当のことなんだ。私にはわかっている。どんなふうにしてかはわからんが、ヨーロッパで死ぬことになっている。だから向こうで埋葬してもらいたい……」

 ヨーロッパに戻ったパットンは1945年12月9日、「自動車事故」にあって負傷しました。
 首の骨折のため首から下は麻痺の状態です。病院でパットンは看護婦に、「2週間しないうちに死ぬ運命なので、治療をしても納税者の支払ってくれたお金の無駄になるだけだ」と語りました。

 そして彼自身の“予言”通り、12月21日に息を引き取ります。

 「ジョージ・パットンは軍人の家系に生まれ、輪廻転生を信じ、神を常に祈る人間であるが、ひとたび戦いとなると軍神のようになる。そして口ぐせは『16世紀が一番よかった。20世紀は嫌いだ』というものだ。」  ドイツ軍(国防軍)の報告も残っています。

 彼は、自分はローマ史上最強の敵であるハンニバルの生まれ変わりとも信じていたようです。巨大帝国に果敢に挑んだハンニバルですが、それを言うなら管理人的には、現代のローマこそアメリカのように思いますので、ハンニバルのライバルであったローマのスキピオの方が過去世に相応しいように感じますがどうでしょうか。

 ジョージ・パットンという魂は、常に戦がおこる時代に祖国のために戦うという役割を持っていたのかもしれません。そしてヨーロッパを戦い抜きナチス・ドイツを打ち破ったその戦歴は、周囲の者をも不思議がらせるオカルトな彩りをまとうものであったと思います。

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